忍者ブログ   
admin
  読んだり、観たり、遊んだり、働いたり。 基本的に休みの日はひきこもり(´・ω・`) ため込んだビデオと本を消化㊥(´_ゝ`)
                       
   
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

   
   
   
                       
   

昨晩あんなコト考えてたらですね・・・・
寝られなくなっちゃった。
頭で整理してるとまた寝られなくなるので、ここで整理。



拍手

   

   

自分の子どもの頃からのコト、色々思い出して、泣けてきた(>_<)
・・・


そうか・・・
家って、両親、姉、自分 に 祖母という5人家族だったわけなんですけれども、
ますおさん だったんですよね。

今考えると、家の実権握ってたのは 祖母。
基本的に、両親が主体のようにはなっていましたが、
色んな事で、結局全てに祖母が口を出し、彼女の良いようにしないと、罵詈雑言並べ立てられ、人格否定された上で、小さい田舎町㊥に言いふらされる。
本人は全く悪気はないんでしょうけれども。

で、
姉は、母親の家系に似た容姿。昔から、「おじいさんにそっくり」と言われてた。
ワタシは、父親の家計にそっくり。姉と兄弟と言うより、父方のいとこにそっくり。
勿論、父親にそっくり ってことなんですけれども。

それもあったんかなぁ・・・・

昔から、ことごとく、祖母から冷たくあたられてた記憶が強い。褒めてもらった記憶は皆無。
悪い事は全て私のせい。
姉やら母方のいとこやらが、やらかした祖母の中の価値観で「悪い事」は、全部ワタシがやったことにされる。そして人前で怒鳴られる
何かで褒められるような事があったら、それは、「姉の功績」に全てすり替えられ、近所に言い広める。
そして「下はホントにダメで・・・」と言い広めるのも忘れない。
それ(姉の功績と言われているもの)やったのはワタシなんですけれども・・・・
近所の人々からは「お姉ちゃんはすごいね、えらいね。見習わないといけないよ」と言われる始末。
いや、お姉がワタシを見習えよ!?
姉は姉で、祖母が言い広めているコトに対し、否定も肯定もしないから、逆に「お姉ちゃんは謙虚なとこもあって、エライね。お前も見習わないとね。」とまた言われる。
ただ、大人になって姉から聞いた話では、姉は姉で、祖母の期待が大きすぎ、「なんでもできるお姉ちゃん。末は博士か大臣か」ぐらいに近所に吹聴されていたそうで、それはそれで辛かったそうだ。

「お前は橋の下から拾ってきた」「鬼子」 と 事あるごとに真顔で言われる。
その後「冗談に決まってるでしょ」とかそういうフォローは全くない。


そんな事が繰り返されて行く中で、どうすれば、自分の存在を認めてもらえるのか
を 子供なりに考えるようになっていたんでしょう。

祖母に意地悪されない為には、自らが自らを貶め、姉より優位に立つ事は絶対にせず、祖母の価値観を否定しないよう、その価値観に寄り添うようにするようにして、今のわたしの考え方のクセというものが出来上がっていったような気がする。

祖母のせいにするな と言われそうですが
誰にも守ってもらえないと思った子供が、生き延びる為には、そうするしかなかった。

自ら「姉にはかないません。祖母のお気にいりだけありますよ」と祖母の意向に沿うようにし 「全てワタシが悪いんです。ごめんなさい。」と やってもいないことを謝り、言われる前に、自分で自分を卑下し「よくわかってるじゃないの。わかっているなら努力しなさい」と言わせ「わかりました。頑張ります」と 何をどう頑張るのか、今考えると頑張る方向性が全く間違えていた気がいたしますね。


確かに、両親は共働きでしたので、祖母がいてくれるお陰で、家事など助かっていた部分も多々あったのは事実です。
しかしだな、祖母が体調を壊して入院した際に、「他所の人に、入院している事は伏せる」という事になり、なんでかわかりませんが、「親戚の家に行っている」ことにすることになり、
小学4年生だった私は、学校が終わると、友だちからの誘いもむにゃむにゃ断り、急いで家に帰り、留守番をしながら洗濯物を取り入れ、その当時、五右衛門風呂だったお風呂を焚きつけ、夕飯の支度をし、合間に宿題をして両親が帰ってくるのを待っていたのですが、
4年生の私が家の事をしている間に、姉が何をしていたかというと、友だちの家に遊びに行っていたんですよねぇ・・・・・
これに関しては、最近母親から「あの時は本当に良く助けてくれた。おねーちゃんは遊んでたのにね」と・・・・
今更ではありますが、ちゃんと見ていてくれていたのが分かった事には、かなり救われました。
あの時、本当に自分は辛かったのだ と言う事を母に伝える事もできた。
でも、できるなら、その時に、そういって欲しかった。
ワタシのやっていることは「あたりまえ」の事なのだ だからやってあたりまえなのだ。
と、思われているのだと思っていた。その頃。
そうやって、「誰かがやらねばならない」ことは、どんどん自分が「やらなければならない」ことになっていった。
注意されるような事が起きて、やったのが誰なのかわからない時は、「自分がやった」とやってもいないのに名乗り出て、叱られる役も自分の役割になっていった。

具合が悪くても「休んではならない」というルールも家にあり、
熱が40度あろうが、学校に行かねばならない。行かないと「怠け者」と言われる。
行って、もちろんフラフラなので、心配した担任教諭が「帰れ」と言ってくれても、帰ると祖母が待ち構えており「何で帰ってきた!?」と怒られ、両親に「学校さぼって帰ってきた」と告げ口される。
もちろん、両親はそうでないことを知ってはいるんだろうし、近所の人にそれを吹聴したとしても、同級生たちが「そうではない」と知っているので、祖母が本当のことを言ってるのではないのを知っている人は知っているが、知らない人からすると、「学校さぼって帰ってきたんだって?なんて不良なの!?」と 言われる。
だから、熱があっても熱がないようにふるまう努力をしなければならなかった。
そういうことが何回かあったので、高校生になった時に40度の熱があるまま学校に行ったその時も「帰れ」と言われたが、「帰ったら何を言われるかわからないから帰らさないでくれ」と担任に頼み込んだ。「40度あるのわかってんなら最初から休め」と言われたが「熱があっても家のルールでは、学校は休んではいけないんです」と訴えた。
多分、理由をきちんと理解した訳ではなかったとは思うが、担任が家にきちんと電話をしてくれたお陰で、帰っても良い事になった。もちろん、帰りついたら祖母から嫌味を言われたが、熱でフラフラすぎて、そのまま寝込んだ。


どれもこれも、わたしが引き受ける必要がある事ではない。
なのに、引き受けなければ、機嫌を損ね、辛くあたられる事が分かっているので、引き受けることで、祖母の機嫌を取ろうとしていた。
今考えると、引き受けようが、引き受けまいが、どちらにしても辛くあたられることは変わりないのに・・・・・

実際、祖母の機嫌を損ねると、家族中に当たり散らすので、機嫌を取っておかないと、両親までもが辛い思いをする事も、子供ながら気づいていた。
だから、とにかく人の顔色を伺うようになり、機嫌を損ねないようには、どう対応すればいいのかということに、全エネルギーを集中させていた。


そうやって、祖母の、両親の、先生の、意向を損なわないようにするにはどうすればいいのか。
嫌われない為にはどうすればいいのか。
認めてもらうにはどうすればいいのか。

自分の評価を他人に求め続け、そのためにその場を繕い続けた結果、心身共に疲れ果ててしまうという事の繰り返し。
仕事を辞めたら辞めたで、「怠け者」「役立たず」などと言われ続ける。
まあ、そら、40度の熱があろうが、学校休めば「怠け者」と言われるわけですし、それこそ休む為には「就学停止」措置になる「感染症」にでもかからないと大手を振って休めない。
しかし、そういうものに罹患するとしたで、「弱すぎる」とか「もっと厳しくしないといけない」とかまた言われるし。

そんな風に生きてきたから、
あれもだめ、これもだめ、それもだめ。
と、ダメダメルールが山ほど出来上がり、
~せねば、というネバーランドに陥って、
それが正しいと思い込んでるから、そういうルールのもとに仕事していない人が、羨ましかったんだろうなぁ・・・
でも羨ましいという気持ちが、やらないことに対してイライラになっていく。
なぜなら、そのルールに沿っていないと、最終的に怒られるのは「ワタシ」だったから。それは家での(祖母の)ルールなんだけど。会社でも学校でも、そうなるんだという恐怖の中で生きていた。


祖母はもう亡くなっているのに、亡くなって結構経っているのに、いまだそれに囚われている事に、思い当たった。



祖母のルールなんてどうでもいいんじゃね?
なんでそんなんに縛られて生きてるの?>自分
もっと、楽になっていいんじゃないの?
わかってくれないと思い込んでるからわかってもらえないだけで、わかってくれてる人もいるのわかったじゃない?

そんな祖母が「親戚は他人のはじまり」って、いとこが子供生まれてお披露目に連れてきてくれた時にその子供に向かって言った時、その場にいた人が全員凍り付いたよね。
みんなは驚いていたけれど、昔からそういう事いう人でしたよ?とかちょっと思った。


もっともっと、自分が自分を認めてあげていいのかな。
できない自分でいいのだ と、認めてあげていいのかな。
できないのが自分だけれど、人さまに迷惑もかけるかもしれないけれど、
それが自分で、きっとお互いさまだから、それでいいのだと、
自分で自分を否定も卑下もする必要はなく、まるっと自分を受け入れて
これが自分なんですもの、てへへ。仕方ないじゃない。別にいいじゃない。
と そう思えるようになれば、いいのかな。
この呪縛から解き放たれる為には、自分で自分の力を信じていいのかな。
そして、他人の考えは、それはそれで、いいんじゃない?と、受け入れてあげられるように。
他人までも、この恐ろしい呪縛に従わなければならないと思っていたのは間違いなんだよ と私がそれによって罰を受ける事はないんだよ と 分かっているつもりでも、その呪縛に囚われそうになった時、「それはまちがいよ!」と踏みとどまれるように。


考え方のクセは、そこに起因しているのではないかと思う。

あれですね。
昔話でよく、生まれた子供に呪いかけられるじゃないですか。
あれに似てますね。
と いうことは、ワタシはその呪いから解き放たれる日がきたならば、それはそれは幸せに暮らしましたとさ というのがお約束ですよね。
うん。よし。
西の魔女はもういないのだから、魔法は溶けているハズなのだ。

考え方のクセに気をつけよう。
怪しくなった時に、修正できるように。
魔法を解く呪文があるハズ。
秘密の呪文を思い出せ。

楽になろうよ>自分
頑張らなくても、誰も怒らないよ。
できなくても、誰もバカにしないよ。
疲れてる時は休んだっていいんだよ。
人の仕事は人にさせてあげていいんだよ。自分の仕事も人にさせてあげてもいいんだよ。
全部抱える必要はないんだよ。
大丈夫、大丈夫。
完璧にやれなくてもいいの。それが普通。完璧って何がどれに誰に対して完璧なの?価値観が違えば、ワタシが完璧と思っていても、人からは「雑」って思われるかもしれないじゃない。
忘れる事だってあるよ。人間だもん。忘れたっていいじゃない。覚えてる人が教えてくれるよ。

大丈夫、大丈夫、大丈夫。
PR
   
   
            
この記事にコメントする
   
name
title
color
mail
URL
comment
password   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
  
        
           
  
カレンダー
06 2025/07 08
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
フリーエリア
ブログ内検索
バーコード
  
       
+++ Powered By 忍者ブログ +++
Copyright (C) 夏の主食はアイスでしょ(`・ω・´)? ++ Template Designed BY (C) Pavloba
+++ 忍者ブログ [PR]
 +++