主人公がジョニーだと思ってました、勝手に。
ジョニーじゃなくてジョーだった。
戦争に行き、砲撃を受け、
目も耳も臭いも言葉も失われ、四肢も失う。
ある意味、もう、それは肉塊。
救命はしたものの、医療現場の人々からは、人間として扱ってもらえない。
自分の置かれた状況を知りたくても、聴く事もできない。
自分の思ったコトを伝えたくても方法がない。
そんな環境の中、ジョーの思考は、過去と現在をいったりきたりする。
その思考を通じ、ジョニーの思いを、観ている側は知る。
ジョニーは、モールス信号を使って意志を伝えようと試みるが、
医療者は、それを「痙攣」と判断し、鎮静剤を使われてしまい、考える事ができなくなり、眠りに陥るジョニー。
夢の中で、また過去と現在をいったりきたり・・・・
眠りから覚めたある日、自分に対応する看護師が、いつもと違う事に気づく。
彼女はジョニーを人として扱う。
そして、ジョニーに意志がある事に気づく。
意志を伝える事はできなくても、心を通い合わせる二人。
そして、ジョニーは、死を望み始める。
それに、応じ用とする彼女だったが、医師に見つかってしまい、ジョニーの希望はかなえられない。
「尊厳死」 に対する問題提起とも思えるジョニーと看護師の行動。
実際に、もしも、自分がジョニーの立場だったらと考えると、生きる事の方が辛いだろうと思ってしまう。
個人の尊厳。意志。
本人が語れなくなった時、それは、他人の意志に支配されてしまう。
しかし、それよりも、なによりも、ジョニーをそうさせたものはなんだったのか。
戦争。
しかも、戦争に行くよう、国が奨励していたのだから。
ふたつの問題を提起して、物語は終わる。
きつい。
観るのがきつい。
観ていて苦しい。
もちろん、それが、原作者である監督の意志なのだろう。
戦争反対 絶対反対。
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